報い

Mは荒涼とした山の中腹を歩いていた。

目的あっての歩きでもなかった。

Mの後ろには中子供、というのがピッタリの背のさして高くない、痩せて弱々しい少年がついてきた。

別段、誘い合わせたのでもないし、顔見知りでもなかったので、お互いに話しかけるでもなく、ただ、黙々と二人は道に沿って歩いていた。

しばらく行くと、道は行き止まり。

そこは険しい崖っ淵であった。

ここまで来て、Mは初めて、自分の後ろから付いてきた少年の顔をまじまじと見た。

細面の青白い顔に、目だけが異様な雰囲気を持っている。

それが険しいとか、厳しいとかの形容で言い表せるものではなく、「心ここにあらざれば、見れども見えず」といった表現にふさわしい目つきだった。

もしかして、精神盲……少年の目に写っているには、光と色の断片だけに過ぎないのではないか、という気がしだした。

その上、瞳孔の大きさを調節している虹彩部分の茶色の輪が

かなり大きい。

そうした異様さが、Mの内に眠っていた性的興奮を目覚めさせた。

Mは愛しげに少年の目を見詰め、少年の手を取りキスをした。

少年は落ち着かない様子で、自分の方にその手を引き込めた。

Mはそれ以上に相手を自分の方に引き寄せ、二言、三言、少年の耳元に囁いて相手を落ち着かせた。

Mは、いちいち質問するのが億劫であったし、少年に話しかけたのは、ただそれだけのことだった。

崖っ淵にある小さな茶屋に入った。

Mはこの時点で、暗黙の了解を得たつもりだった。

中は、ひんやりとして暗かった。

店番をしている白髪の老女が、気を利かせて外に出て行ってくれたのを良いことにし、Mは深く貪るような息遣いで少年に近づき、かなりいかがわしいことをした。

その間、少年は閉じた瞼に涙を浮かべていた。

すべてが終わって気が付いた時には、Mも少年も素裸だった。

少年は唇を噛んだまま無言だった……氷のように冷たく、軽蔑がこもった無言だった。

それでもMは、少年を凝視していた。

そのうち、ふと老婆のことを思い出したので、あわてて少年に身づくろいを促した。

周囲はあまりにも静かだった。

静寂の中で二人は、しばらく向き合っていたが、やがて茶屋を後にした。

一方で、Mはかなり不安になっていた。

どこの誰かもわからない、いたいけな少年にいかがわしい行為をしたことに、かなりの責任のようなものを感じた――今後、自分が彼の面倒を見なければならない――そんな気がした。

そんなことに思いを巡らしていたら、気が付いたときには少年はいなかった。

Mはもう一度、茶屋に戻るべく引返した。

確かに、先ほどの崖っ淵のはずなのに茶屋がない……崖の下を覗き込んでみたが、海は波音一つ立てていない。

Mは、キツネにつままれたような気がした。

それでも、先ほどの少年を求めて、当てもなく、あちこちと探し回った。

少年の姿はどこにもなかった。

もうこれ以上、なすすべがなかった。

引返すしかない……少年に対する責任感が、結局、M自身のおろかな行為への腹立ちとして現れた。

帰路の道中、やりきれない気持ちに石コロを蹴飛ばすことで紛らわした。

蹴飛ばした石コロの一つが、ハチの巣に当たったらしい。

スズメバチの大群がブーン、ブーンと、無気味な音を立てて一斉に舞い上がった。

いまや、Mめがけて飛んでくるのだ。

とにかく、逃げるしかなかったが、スズメバチは、Mの首筋めがけて襲ってくる。

彼らは何度も旋回したかと思うと、またもや舞い降りてMを攻撃する。

眼球までも刺された。

もはや、衣服から出ている皮膚部分すべてが刺し尽くされた。

このハチ騒動で、Mの少年に対する思考はどこかに投げ出されてしまった。

ようやく退散したスズメバチから逃れるようにして、やっと山を下りたときに、Mは目の異常に気が付いた。

M自身も、スズメバチの危険性をよく知っていたので、とにかく、病院に直行した。

病院の待合室に掛かっている鏡を見て、Mはギョッとした。

眼球の黒目の箇所が異様に突出している。鏡を見ている間も、ちょうど風船に息を吹き込むときのように、少しずつ膨らんでいく。

Mは診察室に入った。

医師が肘掛け椅子に座ったままで椅子を回転させ、こちらに顔を向けた。

その瞬間、Mは飛び上がらんばかりに驚いた。

医師は、白髪の女医だった。

この女医の顔を見たとき、Mの忘れていた思考が呼び覚まされ、恐怖におののいた。

女医はMを診断するでもなく、ただ瞳の奥からジッと見詰めて一言、「虹彩膨張精神盲症」と奇妙な診断を下した。

途端「バーン」風船が割れるような音がして、黒目の異様な膨らみが破裂した。

Mはこのとき、少年のことを思い出して思いっきり泣いた。

自分のあのおろかな行為が、このような報いとして現れるとは……

溢れる涙を拭おうとしたとき、Mは自分が眠ってはいないが、夢を見ていることを知った。うつらうつらの状態での恐怖が、未だにMの中に残っている。